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金沢地方裁判所 昭和59年(わ)52号 判決 1985年10月07日

本籍

金沢市横山町二七八番地

住居

同市同町五番二八号

医師

土用下和宏

大正一三年一二月一〇日生

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件について、当裁判所は、検察官西正敏出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役二年六月及び罰金一億円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、金沢市大手町五番三二号において「大手町病院」、同市兼六元町一四番二一号において「敬愛病院」の名称でそれぞれ病院を経営し、同市西念町リ一番地所在「金沢市中央市場診療所」ほか一〇か所において医業を営んでいたものであるが、

第一  自己の所得税を免れようと企て、診療報酬及び雑収入の一部を除外し、架空仕入、架空水増し給料賃金を計上するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一  昭和五五年分の実際の総所得金額が三億七八四〇万三一四三円で、これに対する所得税額が源泉徴収税額五二九七万〇六二三円を控除すると二億一五三四万四八〇〇円(別紙税額計算書(一)参照)であるにもかかわらず、昭和五六年三月一六日、金沢市彦三町一丁目一五番五号所轄の所轄金沢税務署において、同税務署長に対し、昭和五五年分の総所得金額が一億九五七四万九二九二円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額五二三九万六〇一〇円を控除すると七八九二万八九〇〇円である旨の虚像の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の右正規の所得税額と右申告にかかる所得税額との差額一億三六四一万五九〇〇円を免れ

二  昭和五六年分の実際の総所得金額が五億七七〇一万五三三五円で、これに対する所得税額が源泉徴収税額五九三九万二九三九円を控除すると三億五七八七万二五〇〇円(別紙税額計算書(二)参照)であるにもかかわらず、昭和五七年三月一五日、前記金沢税務署において、同税務署長に対し、昭和五六年分の総所得税額が特別減税額一五〇〇円と源泉徴収税額五九〇九万三三七四円を控除すると七一〇二万五六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の右正規の所得税額と右申告にかかる所得税額との差額二億八六八四万六九〇〇円を免れ

三  昭和五七年分の実際の総所得金額が七億九五九九万六二二三円で、これに対する所得税額が源泉徴収税額六四八二万五一九八円を控除すると五億〇七九四万八二〇〇円(別紙税額計算書(三)参照)であるにもかかわらず、昭和五八年三月一五日、前記金沢税務署において、同税務署長に対し、昭和五七年分の総所得金額が二億二二四七万九七二六円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額六四七九万一五九八円を控除すると一億一六八五万九一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の右正規の所得税額と右申告にかかる所得税額との差額三億九一〇八万九一〇〇円を免れ

第二  大手町病院の診療報酬を、石川県社会保険診療報酬支払基金に対しては保険医療機関として、同県国民健康保険団体連合会に対しては療養取扱機関として、それぞれ請求するにあたり、真実は健康保険法あるいは国民健康保険法所定の基準看護一般病棟一類を実施する医療機関の承認を受けるための看護婦数が不足しているにもかかわらず、看護婦数を偽って右医療機関の承認を受け、基準看護料名下に不法の利益を得ようと企て、同病院総婦長岡本八重子らと共謀のうえ、昭和五六年八月六日、石川県厚生部保険課に対し、必要看護婦数を充足しているかのように水増しした看護婦数を記載した同年八月一日付石川県知事あて基準看護実施承認申請書(一般病棟一類を二三四床から三八〇床に変更することに伴う承認申請)を提出して、同年一〇月一日付で同知事からその承認を受け、右保険課長をしてその旨右支払基金及び連合会に通知させたうえ、

一  別紙犯行一覧表(一)記載のとおり、昭和五六年一一月九日ころから昭和五八年八月九日ころまでの間二二回にわたり、金沢市泉本町六丁目八〇番地所在の石川県社会保険診療報酬支払基金に対し、その都度、前記承認を受けるための必要看護婦数を充足しているかのように装い、一般病棟一類の基準看護料として入院患者一人につき一日当り一一〇〇円を加算計上した診療報酬明細書、診療報酬請求書などを提出して診療報酬を請求し、その旨同支払基金の係員、幹事長らを誤信させて、同幹事長らをして支払決定させ、よって、昭和五六年一二月二二日ころから昭和五八年九月二一日ころまでの間二二回にわたり、同支払基金係員をして、同市横山町二番二号所在の株式会社北國銀行賢坂辻支店の大手町病院医院長土用下和宏名義の普通預金口座に、他の診療報酬と共に基準看護料として合計一億一六〇六万四九六〇円を振込入金させて、同額の財産上不法の利益を得

二  別紙犯行一覧表(二)記載のとおり、昭和五六年一一月一〇日ころから昭和五八年八月一〇日ころまでの間二二回にわたり、金沢市幸町一二番一号所在の前記石川県国民健康保険団体連合会に対し、その都度、前同様に装い、一般病棟一類の基準看護料として入院患者一人につき一日当り一一〇〇円を加算計上した診療報酬明細書、診療報酬請求書などを提出して診療報酬を請求し、その旨同連合会の係員、事務局長らを誤信させて、同事務局長らをして支払決定させ、よって、昭和五六年一二月八日ころから昭和五八年九月二六日ころまでの間四四回にわたり、同連合会係員をして、前記株式会社北國銀行賢坂辻支店の大手町病院医院長土用下和宏名義の普通預金口座に、他の診療報酬と共に基準看護料として合計一億四四九二万八六三〇円を振込入金させて、同額の財産上不法の利益を得

たものである。

(証拠の標目)

この欄の(  )内の算用数字は、検察官請求の証拠等関係カードの番号を表わす。

判示事実全部について

一  被告人の当公判廷における供述

判示冒頭の事実について

一  被告人の検察官に対する供述調書二通(141、143)

判示第一の事実全部について

一  第一回公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官に対する供述調書七通(142、143、145ないし149)

一  宮下正次の検察官に対する供述調書一一通(117ないし119、123ないし130)

一  大蔵事務官作成の査察官調査書五二通(52ないし56、59ないし63、65ないし80、83ないし90、94ないし108、114ないし116)

一  北野勇作、水野進、中谷匡宏、浦野光信、柴野要、岸正三、田丸勲、平山宏、川下信義、半田純子、水口清隆、市川寛久、高田清(二通)、村田敏雄及び畦地実作成の各確認書(31、32、34ないし37、57、58、64、81、82、109ないし113)

一  綾瀬登志勝、秋田外美恵、道合武雄、山本かずみ、山本博尚、斉藤忠雄、滝川嘉孝、土上猛、篠田純一、干場多豆子、田中徹、高松俊雄、安田稔及び大森貞作成の各回答書(38ないし51)

一  押収してある売上帳一二冊(21、昭和五九年押第一九号の八)、金銭出納帳一綴(27、同号の一二)

判示第一の一の事実について

一  大蔵事務官作成の証明書二通(1、2)

一  検察事務官作成の捜査報告書(7)

一  宮下正次の検察官に対する供述調書(120)

一  大蔵事務官作成の査察官調査書(91)

一  押収してある総勘定元帳二綴(11、昭和五九年押第一九号の一)、財務報告書及び出納帳一綴(13、同号の二)、金銭出納帳一綴(30、同号の一三)

判示第一の二及び三の各事実について

一  押収してある売店日報一冊(22、昭和五九年押第一九号の九)

判示第一の二の事実について

一  大蔵事務官作成の証明書二通(3、4)

一  検察事務官作成の捜査報告書(8)

一  宮下正次の検察官に対する供述調書(121)

一  大蔵事務官作成の査察官調査書(92)

一  押収してある総勘定元帳二綴(12、昭和五九年押第一九号の二)、財務報告書及出納帳一綴(14、同号の四)

判示第一の三の事実について

一  大蔵事務官作成の証明書二通(5、6)

一  検察事務官作成の捜査報告書(9)

一  宮下正次の検察官に対する供述調書(122)

一  大蔵事務官作成の査察官調査書(93)

一  押収してある総勘定元帳二綴(17、18、昭和五九年押第一九号の五、六)、財務報告書及出納帳一綴(19、同号の七)、売店日報二冊(23、24、同号の一〇、一一)

判示第二の事実全部について

一  第二回公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官(二通)及び司法警察員(一五通)に対する各供述調書(303ないし307、312ないし320、322ないし324)

一  岡本八重子の検察官に対する供述調書(164)

一  安部健吉の検察官に対する供述調書二通(175、176)

一  宮下正次の司法警察員に対する供述調書七通(177、179ないし182、184、186)

一  浜芳彦の検察官及び司法警察員に対する各供述調書(188、189)

一  嶋友久の検察官(二通)及び司法警察員に対する各供述調書(190ないし192)

一  坂本浩子の検察官に対する供述調書(156、ただし、七項を除く。)

一  中川君子、兼田きん子、宮下富美子、大多信子、吉崎ヨレ子、若山富子の検察官に対する各供述調書(167ないし172)

一  山下光司の司法警察員に対する供述調書三通(198ないし200)

一  望田光男の司法警察員に対する供述調書(193)

一  司法警察員作成の捜査報告書九通(154、155、158ないし162、299、300)

一  株式会社北國銀行賢坂辻支店長成瀬哲郎作成の「回答書」と題する書面(301)

判示第二の一の事実について

一  窪木清亮の司法警察員に対する供述調書三通(210、211、213)

一  太田良介の司法警察員に対する供述調書(214)

一  司法警察員作成の捜査報告書四五通(215ないし259)

一  石川県社会保険診療報酬支払基金幹事長窪木清亮作成の「捜査関係事項照会について(ご回答)」と題する書面三通(206、207、209)

判示第二の二の事実について

一  入道秀栄の司法警察員に対する供述調書二通(261、263)

一  山田毅、盛田邦子の司法警察員に対する各供述調書(264、265)

一  司法警察員作成の捜査報告書三二通(266ないし297)

一  検察事務官作成の捜査報告書(298)

一  石川県国民健康保険団体連合会事務局長入道秀栄作成の「照会事項回答書」と題する書面(260)

(詐欺罪の犯意について)

弁護人は、判示第二の詐欺事犯につき、被告人は、基準看護に必要な看護婦数が不足していることの認識はあったが、その看護婦数の不足は看護助手でカバーし、その実質において基準看護と同等の看護を実施してきたと信じていたので違法性の意識はなく、かつ、そう信じたことについて相当の理由があり、被告人ならずとも何人においても違法性の意識を期待できないから、被告人には基準看護料を不正取得しようとの犯意はなかった旨主張する。

しかしながら、犯意の成立には、犯罪構成に必要な事実の認識があれば足り、それが違法であることの認識を必要としない(最高裁判所昭和二三年七月一四日大法廷判決刑集二巻八号八八九頁、同昭和三二年三月一三日大法廷判決刑集一一巻三号九九七頁参照)から、違法性の意識の存在を故意の要件とする所論は失当である。犯意は判示のとおり十分認めることができる。

なお、違法性の意識の存在が故意の要件であるとの見解に立ったとしても、本件の場合には、被告人に違法性の意識があったことは明らかである。すなわち、(1)基準看護料は知事から基準看護実施の承認を受けた医療機関にのみ支給されるものであり、その基準看護の基準の重点は、入院患者数に対する看護婦数並びに正看護婦、准看護婦及び看護助手の数が一定の割合以上であることであるが、このことは医師であり、また個人病院の経営者である被告人において熟知していたことである。(2)しかるに、被告人が経営する大手町病院では、昭和五三年四月一般病棟について基準看護一類の承認を受けた当時から正看護婦及び准看護婦の数が常に基準看護に必要な数に達せず、その不足は昭和五六年八月増床に伴う承認を受けた後においても慢性的に続いていたものであり、しかも、その不足の程度は著しく、例えば、右昭和五六年八月当時についてみると、入院患者数が四三七人であったから、その基準看護一類に必要な正看護婦数は四四人であったのに実際にいたのは一二人にすぎず、三二人不足しており、また、同じく一類に必要な准看護婦数は四四人であったのに実際にいたのは一九人にすぎず、二五人不足していた(検察官請求の証拠等関係カード番号154の捜査報告書参照)。このように看護婦数が慢性的に著しく不足していたことは、もとより被告人も熟知していたものであり、だからこそ基準看護実施承認の申請などの際、基準に合った外形をつくるため岡本総婦長に命じて入院患者数を過少にしたうえ、正看護婦及び准看護婦の数を水増しする操作をさせていたものである。(3)被告人は正看護婦と准看護婦の不足は看護助手(看護婦見習を含む。)でカバーしていたから看護上問題がなかった旨供述しているが、これは看護婦資格のある正看護婦及び准看護婦と看護婦資格がなく看護の補助しか行なえない看護助手とを同一視するもので、患者の病状に応じた適切な看護を任務とする看護婦の職責の重要性を無視した暴論である。のみならず、右議論は、正看護婦と准看護婦の数が前記のとおり著しく不足していたことをも併せ考えると、大手町病院の入院患者のほとんどが老人であることから、同病院においては看護よりも介添を重視していたという特殊性を考慮しても、到底容認できない。(4)第二回公判調書中の被告人の供述部分、すなわち被告人作成の「公訴事実に対する認否」と題する書面によれば、被告人は本件詐欺の公訴事実を「そのとおり間違いありません。」と認めたうえ、「基準看護料加算金の不正受給による詐欺を働こうとする犯意は、甚だ薄かった。」と微妙な表現ながら犯意があったことを認めている。以上の事実に徴すると、基準看護の要件を充足していないのに基準看護実施の承認を受けたうえ、基準看護料の請求をしてこれを受領することが違法であることは被告人自身認識していたと認めるに十分である。よって、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一の所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の所得税法二三八条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第一の二及び三の各所為はいずれも右改正後の所得税法二三八条一項に、判示第二の一及び二の各所為はいずれも包括して刑法二四六条二項にそれぞれ該当するところ、判示第一の一ないし三の各罪について、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ、情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第二の二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条一項によりこれを右懲役刑と併科することとし、同条二項により判示第一の一ないし三の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年六月及び罰金一億円に処し、同法一八条により、右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

被告人は、昭和二〇年医師免許を取得し、勤務医を経て、昭和二九年岳父が開設していた大手町病院の病院長に就任し、昭和四七年右岳父の死亡に伴い同病院の開設者となったが、他にも金沢市内などに一一か所の診療所などを有し、更に、昭和五五年六月には敬愛病院を開設し、これらの医療機関を経営すると共に、診療行為に従事していたものである。

本件は、判示のとおり、病院を経営すると共に診療行為に従事していた被告人が、病院事業拡大のための資金の捻出や高額の収入を維持するために、昭和五五年から昭和五七年にかけて合計八億一四三五万一九〇〇円もの巨額の所得税を免れたほか、昭和五六年から昭和五八年にかけて、基準看護に必要な看護婦数を満たしていないにもかかわらず、その数を偽って基準看護料名下に合計二億六〇九九万三五九〇円の不法の利益を得たという事実であって、脱税額及び利得額とも極めて大きく、かつ、所得税のほ脱率も、昭和五五年分が六三・三パーセント、昭和五六年分が八〇・一パーセント、昭和五七年分が七六・九パーセントと高率であり、結果は重大である。

所得税法違反の犯行態様をみると、被告人は、病院窓口での現金による診療報酬や雑収入の大部分及び売上げなどの全部を除外したうえ、職員の給与、退職金の架空又は水増し計上、医薬品の架空仕入の計上などによって所得の一部を隠していたものであり、これらは被告が脱税の意図のもとに直接経理担当者などに指示して行なわせたものであり、隠匿する現金は毎日担当者から被告人のもとに届けさせていた。従って、右犯行は被告人の主導のもとになされたものであり、被告人は、決して、その陳述書に記載されているように確定申告の直前に経理担当者から説明を受けただけの受動的な立場にあったものではない。しかも、窓口収入の除外は昭和三七、八年ころから、架空又は水増し給料の計上は昭和五一年ころから、架空薬品仕入の計上は昭和五二、三年ころから継続して行ない、更に、昭和五五年からは売店売上げを除外するなど、次第に手口が多様化している。また、基準看護料の不正受給についても、当初、岡本総婦長らが看護婦数を偽ることを躊躇していたにもかかわらず、被告人は、すでに述べたとおり同総婦長ら大手町病院の関係職員に指示して看護婦数の水増しなどをして基準看護の要件を満たしているように操作させて右犯行に及んだものであり、本件各犯行のいずれについても、被告人が積極的に行なったものであることが窺われる。

ところで、弁護人は、本件各犯行の動機について、被告人が所得税法違反の罪を犯したのは、敬愛病院の建設や医療機器の整備のための資金を捻出する必要があったからであり、これは、医師としての社会的責務を果たすためであった、基準看護料の不正受給は、大手町病院において、寝たきり老人やいわゆるぼけ老人などが私費で付添人をつけなくても入院できるような体制(いわゆる完全看護体制)を維持して経営を続けるためにはやむを得なかった旨主張するところ、たしかに、被告人は、所得税を免れて手許に留保した資金を、主として新病院(敬愛病院)建設のための借入金の返済や医療機器の整備のために使用しており、脱税によって得た資金の使途が右のとおりであることは、後記のとおり、量刑につきある程度斟酌すべき事情ではあるが、大手町病院では、前記のとおり正看護婦及び准看護婦の数が慢性的に著しく不足していたこと、従って、これらの看護婦は多忙であったが、その待遇は決してよくなかったこと、医師も不足し、その点を保健所から指摘されたこともあったこと、病室が足りなくて手術室、機能訓練室などにまで入院患者を収容していたことのほか、被告人は岳父から受け継いだ病院を自分の力で大きくしたいという願望をもっていたことなどに照らすと、新病院の建設や医療機器の整備が、専ら医師としての社会的責務を果たすために行なわれたとは認め難く、被告人自身の事業規模拡大欲に基づき行われた面が大きいことは明らかである。また、基準看護料の不正受給については、被告人が、昭和五三年四月それまであった基準看護二類が廃止され、無類か一類かの選択を迫られて一類を申請した際や昭和五六年の増床に伴う同申請の際、基準看護料の支給を受けられなくなっても大手町病院の経営が成り立つものであるかどうかの点について、経理担当者などと相談するなどして検討したような形跡は全く認められないこと、少なくとも昭和五五年以降は、被告人には毎年二億円ないし五億円を超える所得があったのであるから、その気になれば、基準看護料を受給しなくても完全看護は可能であったこと(例えば、昭和五五年度の所得は、約三億七八〇〇万円であり、うち基準看護料は一日の入院患者数を四〇〇人として算出してもせいぜい約一億六〇〇〇万円程度である。)に照らすと、完全看護体制を維持するためには不正受給もやむを得なかったとは認定できず、結局、被告人は、無類となって基準看護料の支給を受けることができなくなれば、その分だけ自己の所得が減少することから、一類の基準に達しないことを熟知しながら、その収入を維持し、あるいは増大するために基準看護料を不正に受給したものと認定するほかない。

なお、弁護人は、我が国の税率は他国に比べて高く、これが脱税を誘発しているから、脱税をした被告人のみを責めることはできない旨主張するが、税率が高いことを理由に被告人の責任を軽減するならば、高い税率にもかかわらず正直に所得を申告している者との間に不公平が生ずるばかりでなく、脱税を誘発することにもなりかねないので、右主張は到底採用することができない。

申告納税制度を採る租税制度のもとでは、国民が自己の所得を正直に申告することを前提としているから、不正の手段で所得を隠して税金を逃れることは、国民全体の犠牲において違反者のみが不法に利益を得るものであって、極めて反社会性の強い犯罪といわざるを得ない。税負担の公平は租税制度上最も重視すべき原則であり、この原則を保つためにも、正直者が馬鹿をみるようなことがあってはならないのであって、悪質な脱税事犯に対しては一般予防上の見地から量刑上厳しく対処せざるを得ない。昭和五六年の所得税法の改正により不正の行為によって所得税を免れた者に対する罰則が強化され、懲役刑が三年以下から五年以下に引き上げられたこともこのような考えによるものである。

本件の場合、被告人の脱税額は前記のとおり巨額であり、ほ脱率も高く、しかも、その脱税が被告人自身の指示によってなされたことなどを考えると、本件は悪質重大事犯であり、被告人の責任は重い。また、被告人は、多額の基準看護料を不正に取得したものであり、これが保険医療制度に与えた影響の大きさなども併せ考えると、被告人の責任は重い。

他方、ひるがえって考えるのに、年々老人の患者が増加する傾向がある中にあって、被告人経営の大手町病院では、他の病院が嫌う寝たきり老人あるいはいわゆるぼけ老人などの入院患者を早くから積極的に受け入れてきた。しかし、入院希望者が多くて応じきれなかったため、被告人は、前記のとおり、昭和五五年六月敬愛病院を開設して、それらの希望に応えてきた。この点は被告人が老人医療のために尽力したものとして評価することができる。また、被告人は、脱税によって得た資金を前記のとおり主として医療活動のために用いたこと、脱税した三年分について修正申告したうえ、本税、延滞税及び重加算税などを全部納付ずみであり、不正取得した基準看護料も全額返還ずみであること、これまで前科前歴を有せず、前記のとおり医師として医療を通して社会に奉仕してきたほか、永年社会福祉その他諸団体に対し寄附を続けてきたこと、本件発覚後の昭和五九年二月二九日責任をとって大手町病院を廃止し、同日、医療法人社団清和会(丸の内病院)を設立し、同法人に大手町病院の入院患者を収容したが、その法人設立にあたって大手町病院の建物及び医療機器などを全部現物出資しており、しかも、自らは同法人の理事にも就任せず、勤務医となっていること、それに本件につき新聞などに大きく報道され、それ相応の社会的制裁を受けたことなど被告人に有利若しくは同情できる情状も認められる。しかし、これらを十分考慮しても、なお被告人の責任は重大であり、主文のとおりの刑はやむをえない。

(裁判長裁判官 角田進 裁判官 楢崎康英 裁判官 倉田慎也)

税額計算書(一) 昭和55年分

<省略>

税額計算書(二) 昭和56年分

<省略>

税額計算書(三) 昭和57年分

<省略>

犯行一覧表(一) (石川県社会保険診療報酬支払基金関係)

<省略>

<省略>

合計 一億一六〇六万四九六〇円

犯行一覧表(二) (石川県国民健康保険団体連合会関係)

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

合計 一億四四九二万八六三〇円

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